出雲ローカルサーファー

出雲ローカルサーファー

2011年3月31日木曜日

市長へ震災孤児の受け入れを

さきほど長岡市長に震災孤児を受け入れる
ホストファミリーについての要望を行いました。
市長も考えているということで、意見の一致を
見ました。

被災地の様子を見ながら積極的に取り組んで
いこうと確認しあいました。

また自転車の需要も多いと思われ、放置自転車
などを修繕し送ることも提案しました。
子ども用自転車も、落ち着いてくると必要になって
くるはずなので、こちらも集めて送るよう要望
しました。

2011年3月29日火曜日

町内での防災力

新年度に向けて町内会総会が開かれた。
今年は例年よりさらに質素に行われた、震災の
影響と高齢化による手間の問題からだ。

色々と話が出たが、自治会負担金のことを
考えてもらおうと、話を持ち出したが、あまり
深いところまでいけなかった。

災害時の対応についても、あまり深くいけなかった。

隣のT先生は去年の火事の事を引き合いに
全戸への声掛けと、安全確認の方法が必要だと
強く訴えていた。

私が言いだしっぺなのだが、別の機会にでも
集まってもらい、話し合いが必要だと思った。


避難場所を決めておきませんか?という問いかけも
天井の方にふわふわ浮いてどこかに行ってしまった。

2011年3月27日日曜日

桜の蕾 もうすぐだよね

原発震災への警鐘

神戸大学都市安全研究センターの石橋克彦教授のことを
池田市議会の馬坂哲平市議から知りました。


東日本大震災での福島第一原発の事故について、今私たちの目の前で起こっている出来事について、かなり以前から警鐘を鳴らされていたことに、ただただ驚くばかりです。


一つ一つ、すべてが当てはまっていて、心底驚きました。


原発は安全なものと何の深い考察もせず、頭の隅に置いていた自分の不明に恥じ入ります。


原発はよその出来事と自分の事として考えてこなかったのです。


でも今は違います。


今回の事故で半径30キロ圏内は危険だと分かりました。
出雲市がすっぽり入ってしまいます。


平成17年の国会での陳述の冒頭「迫りくる大地震活動期は未曾有の国難である」との言葉から始まっています。
今現在、新聞の紙面を飾り、テレビの画面を流れる言葉は、まさにこの言葉です。


162回国会予算委員会での陳述
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/003016220050223001.htm?OpenDocument

石橋克彦私の考え
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html

市民の皆さま方も是非一読されることを望みます。
そして他人事としてでなく、共に真剣に勉強していきましょう。

そして出雲の未来を、この国の未来を守っていこうでは、ありませんか。

2011年3月26日土曜日

ICT活用調査研究会のまとめ

なかなか進まない議会ICT化。
参加している議員は、わずか7人。

メールで連絡報告を受けることができる
議員は10人。半数にも満たない。

できる議員に合わせてくれれば良い物を
できない議員に合わせるものだから、
いつまでたっても進歩しない。

どこかおかしい。

連絡のためにFAXを使っているが、そのために
職員は多くの時間を使い残業している、無駄だ。

このままでは、議員が入れ替わるまで変われない
ということか、なんとも悠長な話である。
執行部の情報量と人的数量に対応するためには
ITこそがもっとも効果的な武器なんだけど。

あーじれったいものだ。

今度は会員全員で議長に申しいれをしようと
決めました。

まずは、議会棟の独自ネットワーク環境の構築
情報データベースの構築(将来はグループウエア)
議会インターネット中継
の実現です。
(まだこんな程度と笑われるかもしれませんが?)

できてないんです。

ホストファミリーを考えてます

東日本大震災で多くの子が両親を亡くしています。
被災児童のホストファミリーのことを、少し前から
考えていて、妻に話すと「直ぐに受け入れて」と
答えが返ってきました。

調べてみると兵庫県の小野市では、すでに始めていました。
出雲市でも取り組めるよう市長に話してみます。

2011年3月25日金曜日

3月の党員会

今回は大社でと、思っていたのですが。。。
U館の対応があまりにお役所的で断念しました。

東日本大震災と島根原発の話が中心となった
党員会でした。

研究発表する手銭さん

2011年3月19日土曜日

四絡幼稚園の修了式

修了証書を手渡され、頬をなでながら「おめでとう」と
やさしいまなざしを向ける母親の姿に、自分の母親の
姿を重ねてしまい、思わず涙が出てしまった。

2011年3月18日金曜日

四絡小学校の卒業式

幼いころに父親を亡くし、中国からお嫁に来た
母親の手で育てられたM子ちゃんも、卒業した。

よくここまで育ったな―、感慨一入で見送った。

2011年3月16日水曜日

被災地に向けて義援金

今朝の議会理事会において、出雲市議会として
被災者の方々へ義援金を送ることが決まった。

議員個人が25000円拠出し合わせて100万円を
日赤を通じて被災地にお届けする。


これから被災地の方々が生きていくのに一番必要に
なるのは、なんといってもお金だから。
もちろん物資もエールも大切なことは論をまたない。

平成18年に出雲であった水害の後片付けにボランティア
として出かけたことを思い出す。
泥が縁の下にたくさん入り込み、それを汗だくになりな
がら運び出した。

庭にたまった泥も運び出した。

とにかく人力でしかできない仕事だった。

今回の被災地もテレビで見る限り、かなりの家に泥が
入っているはずだ。
流されずに残った家を復興するには、人手が必要になる。

それはこれからだ、今少し様子を見て、自治体などの
体制が整い次第、ボランティアとして協力を始めることが
賢明だろう。


被災地から2名の方が、出雲に避難してこられたようだ。
出雲市として政策空家としている、有原住宅10戸を提供
するよう決めたと、さきほど連絡をもらった。

島根県本部の三島代表が14日に溝口知事に申し入れ
していた、受け入れを早速、出雲市で実施されることを
評価したい。

出雲三中卒業式

今年も寒い中卒業式が行われた。
東北関東大地震の直後ということもあり、被災者に向けての
黙祷から始まった。

全体に落ち着いた進行だったように感じた、やはり被災地の
方々のことを考えると、とても浮かれた気持にはなれないのが
普通の感情だろう。

卒業生もきっと心の中にそういう悼む心を抱きながら、巣立って
行ったと思う。


2011年3月12日土曜日

東日本大震災に対する公明党島根県本部の対応について


11日の東日本大震災は、今なお、災害が継続中であり、国、地方自治体、関係機関による懸命な救援活動が続けられているところであるが、公明党県本部としては以下のような対応を行いたい。

対応の基本
東日本大震災は我が国災害史上最大の規模の地震であり、東日本を中心に甚大な被害が生じ、現場における救援活動や被害の実態把握が行われているところである。
壊滅的な被害を受けた東日本に比較し、被害のなかった島根県としても、県、市町を挙げた支援活動を進めることは当然であるが、県民、市民を挙げた支援体制を構築することが重要と考える。
既に、市民の中で災害物資の集積など活動が始まっているところであるが、島根県としては、県民運動として支援体制を構築し、県民、市民の総力を結集して取り組みを進めるべきと考える。
公明党としてもその先頭に立って今、出来ることを懸命に進めたいと考える。

具体的な対応
(1) 県民、市民を挙げた支援体制を構築するために、知事を先頭に【仮称】「東日本大震災支援対策県民会議」(市民会議)を設置し、なにが必要か、なにが出来るか、を検討し、県民の総力を結集して取り組む体制づくりを行うよう要請する。
県知事への申入れを行う
市町においては、議長に申し入れを行う

ことが決定されました。

東北地方太平洋沖地震

昨日の午後、姉から電話がきた
「力ちゃん大変だよ!茨城のお母さん大丈夫?」。

一瞬何のことか分からず、すっとんきょうな返答をした。
「大地震だよ!東北と茨城なんかで」と姉の声。

まったく分からなかった私は、すぐにTVをつけて観た。
するとちょうど仙台の河口を津波が襲っている映像が
流れている時だった。

みる間もなく津波が家々をハウスを、そして車をのみ
込んでいく、恐ろしい光景だった。
橋のたもとでトラックの運転手らしい人が、荷台の上に
佇んでいた、寸前で流れが別の方向に行き、どうやら
助かったようだった。


すぐに妻に連絡を取らせるが、お母さんも姉妹にも、
電話が繋がらない。
混線して不通になっている。

しばらくしてからメールで姉の状況が分かる、電車内に
閉じ込められ、立ち往生している、だけど無事だという。
その姉が帰宅したのは、夜中の12時半だった。

夜になってようやく二人と電話がつながり、無事を確認した。

次第に分かる地震の被害、町そのものが壊滅してしまう
恐ろしさ、三陸海岸での過去の事例や海外での被害を
何度となく見て理解しているつもりだったが、リアルタイムで
起こった今回の津波の威力は、かつてないほど強い衝撃
だった。


全容を把握するのは、直ぐにはなかなか困難だと思われる。
今朝も寒かった、停電で避難している方々も寒い思いを
されていることだろう。


妻の実家でも、一人暮らしのお母さんが、停電で不安な中
気丈にいるようだ。
すぐにでも行かせてやりたいが、もう少し落ち着かないと
二次災害が心配だ、交通が回復したところを見計らって
見まいに行かせようと思っています。


遠く離れている地の地方議員でありますが、何かお手伝い
できることがあるはずです。
皆と相談して直ぐに手を打っていこうと考えています。

2011年3月8日火曜日

森林協議会で現場視察へ

松くい虫被害が増大している。
ナラ枯れも次第に増えてきて、看過できない状況になって
きた。

森林協議会で説明を聞いたのち、実際に現場に行って
みることになった。

松くい虫防除には色々やり方がある。
下の写真はその一つ「樹幹注入」である。

実は私も初めて見た。

黄色リボンがついているのは、薬剤注入する際の
目印となっている。


直径1センチぐらいの丸い穴を幹に開け樹皮の下を
確認する作業から始まる。

中が白い色で、開けてから30分ぐらいでヤニが出てくれば
健康な松だ、茶色になっているとすでに侵された松らしい。

ワクチンと一緒で健康な時に打って初めて効果があるそうだ。
フムフム。

そして幹の太さを測って、この木は何本注射と決まり、ドリルで
穴を開けて、写真のように薬剤を注入する。
だいたい3~6カ月で幹全体に周り、マツノザイセンチュウから
身を守るそうだ。

なかなか大変な作業である、山の斜面、山林の奥などは
簡単ではないという。そうだろうなー!


どんどん松枯れしているのを目の当たりにすると、空中散布の
再開もやむを得ないのではと、思います。

2011年3月4日金曜日

一般質問2日目

今日は5人の質問があった。
最期の川上議員の食育での再質問での意見は
的を得ていた。

昨日の中尾教育長の給食の地産地消費の答弁を
聞いていて、おかしいだろうと、思っていたのだが、
それに対する明快な提案だった。

中尾教育長は、地元産が使いたいが、量や調理
しやすい形状を考えると、100%地元産を使うこと
ができないと、答えていた。

これを聞いた時、思い出したのは「日本で一番大切に
したい会社」に取り上げられていた、杉山フルーツ
(富士市)のことだ。


農業経営者の方々と懇談するシーンで出てくるが、
イチゴを扱っているか尋ねると、何人か手を挙げる。
そして「本当にお客のことを考えてイチゴを作ってま
すか」と聞く。

すると皆「もちろん」と答える。

そして「ではどういう状態で畑からイチゴを摘むんですか」
と聞くと、「赤みが少しさした時」と答えるんです。


赤みが3分の一の時に摘んで出荷をする。
真っ赤になったらもう市場が引き取ってくれない。

でもそれって消費者がうまいと感じる?

でもJAが引きとらないから、お客が満足しなくても
そうしないと売ることができないから。。。。
という内容でした。

まさに、子供たちのことを優先して考えるのではなく、
納入業者や給食センターの都合で材料が選ばれている
ことは、同じ理屈だなと感じました。


そこを川上議員が、生産者と協議をして、年間のスケ
ジュールを決め安定的に地元産が使えるようにすべき
と、提案してくれたのだ、わが意を得たりとの思いだった。

2011年3月3日木曜日

24回目の一般質問を終える

議員になって毎回質問をさせていただき、今日で24回目と
なりました。

終わるとホットします。
市民の皆様にお応えできる質問だったのか。
ちゃんと的を得た質疑ができたのか。

いつも自問自答しています。

そんな時、妻の一言、支持者の方のメール、先輩の一言が
救いになります。
また頑張ろうという気持にさせてくれます。

今議会での質問は3題。

「山陰有数の医療福祉拠点として今後の取り組み」
「出雲科学館の利用促進、特に市内関係産業の利用」
「シカ被害対策について」


行いました。
詳細は後日掲載します。