出雲ローカルサーファー

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2017年10月27日金曜日

手話の普及に関する条例が出雲市で成立

長年取り組んできた「手話言語条例」出雲市で成立しました。
小村会長おめでとうございます!
島根県では初めてのことですので、長岡市長の英断にも感謝します。
聾唖の方々を取り巻く環境が大きく変化し、より安全により安心して暮らせるようになると確信しています。

次は島根県での成立に向けて(壁は高いが)引き続き頑張ります。

2017年8月27日日曜日

明晴学園のろう教育シンポジウムに参加

聾者の幼児期における言語獲得において、手話を母語(第一言語)とし、書記日本語を第二言語にする事の重要性を理解できた。
御茶の水大学名誉教授の内田伸子先生の調査研究によると、カミンズの二言語共有説にもとづけば、第一言語が習得されていれば、深層部でメタ言語能力が共有され、第二言語も習得し易いということだ。
つまり、聾者にとっても、難聴者にとっても幼児期が大切なポイントになるということが理解できた。

特に幼児、児童で難聴があると聞き取ることに集中し、日本語習得に支障が出ると思われるので、第一言語に手話を選択することが良い結果を生むと考えられた。


2017年8月24日木曜日

出雲市手話の普及の推進に関する条例が提案される

出雲市議会の9月議会で「出雲市手話の普及の推進に関する条例(案)」が提案されると、担当課から連絡があった!
長年取り組んできたテーマだったので、感慨深いものがあります!

  

2017年8月6日日曜日

出雲市の平和記念式典に今年も参加

72回目の追悼式、台風の影響で異常に暑い日となった。
広島も長崎もこんな暑い日に惨劇が起きたはずだ。
私は中学生の時に長崎に修学旅行に行ったが、被爆者の体験談を聞いた記憶が無い。
平和祈念公園には行った記憶があるが、語り部の記憶が無いのである、これは私だけなのかもしれない。

今年はその長崎の語り部 八木 道子さんが来雲され体験談をお話しされた。
6歳の時に被爆、爆心地から3キロ離れた所にお住まいだった。
9日の朝空襲警報が鳴って避難、二時間後に解除のボーというサイレンが鳴り、家の二階に兄妹5人で上がってみると、爆音が聞こえてきた、飛行機が飛んで来たのを見て、頑張れーと叫んでいる時(敵機だと思わないのだ)、ピカッと光、次の瞬間ドーンというすごい爆発音に驚いて、階下の縁の下に潜り込んだというのだ。

それからは、いつも見送っていた少年兵の焼けただれた姿や、無残に積みあがった黒焦げの死体、そして焼くしか方法がない引き取り手のない遺体など、無邪気な6歳の女の子が見るにはあまりに残酷な地獄絵図が展開されていったそうだ。

皆で非難した防空壕の中は、真っ暗で腐臭が漂う死の世界。
真っ黒な大きいハエが傷口に卵産みつけ、ウジ虫が傷口を食い破る、はらってもはらっても容赦のない攻撃は続く。
ピンセットもない(全部弾を作るために供出されていた)から、木の棒でつまんで一匹ずつ取り除いたそうだ。
とても忘れられないだろう。

戦争が終わっても。今度は食べるものがない。
修学旅行に行けるのは、コメを持って行ける子だけだったそうだ。
コメを持って行ける子だけ参加ができる修学旅行とは、現代では考えられないことだがそれが普通に行われる時代だったのだ。

戦争がもたらす理不尽なもの全てが出尽くした太平洋戦争、そして人類に対して絶対に使ってはならない核兵器が使われてしまった不幸な太平洋戦争は、今でも多くの人を苦しめていることを再認識させられたのである。

2017年8月4日金曜日

対馬によせて

昨夜、友人たちに対馬の話をすると、「韓国に占領されるぞ!」などと過激な反応であった。。。
一部の報道や週刊誌ネタで判断しての発言だと思うが、いただけない反応だと思った。

情報が氾濫している現代、真偽を見極める目を耳を持たねばならない、それにはやはり現場を現地を見て、その土地の人の話を聞くことが肝要だとつくづく思うのである。

がしかし、これはこれで難しいことで誰もが行けるわけではない、そうするといかに我々政治家の役目が重いものか、改めて気づかされるのである。


2017年8月3日木曜日

韓国が目の前に 対馬で国境を感じる

対馬の最北端に行くと韓国展望所にたどり着く、50キロ先にある釜山の町が展望できるのです。
夏場は水蒸気の関係で見えないということであった、それでも良く晴れていたので淡い期待があったが、やはり見ることはできなかった。
比田勝町の人によると、花火も楽しむことができる時もあるそうだ、まさに国境離島であることを実感する話であった。

この展望所の目の前には、航空自衛隊第19警戒隊(防空レーダー部隊)がある小島が見える。
25キロ先が国境線であるから常に緊張した状況に置かれているだろうと推察された。


この近さゆえに、韓国からのツアー客が次々に押し寄せている。
年間25万人から40万人にまで膨れ上がるのではないかと聞かされた。
私たちが泊まった厳原町の東横インの前に、レッドキャベツというスーパーがあった。
そこに足を踏み入れるとお客さんの90%は、韓国の人であった。
カートを買い物でいっぱいにした人がレジに大勢並んでいるのだ、こんにゃくゼリーやカレールーなどは買い占められて品薄状態であった。



2017年7月31日月曜日

なななんと!C2輸送機が出雲空港に

県議会一期生で国境離島の対馬に行こうとなり、出雲空港にいると見慣れぬ機体が着陸してきた。
迷彩柄のC2輸送機だったので驚きです!
スタッフに聞くと、年に数回訓練で着陸するということでした。
対馬に向かうところなので、変な勘ぐりをして、ICBMが飛び交う危ない状況を反映したものかなと思ったりしておりました。



2017年7月14日金曜日

桝屋敬悟事務所で勉強会

桝屋敬悟議員の国会議員事務所で勉強会を開催して頂きました。
次期介護保険改定と萩石見空港の政策コンテスト状況、そして保育士の処遇改善について、深く濃ゆく学ぶ事ができ有意義でした。

その中で、介護医療院の計画は、グッと私の興味を引きました。
病院にいることもできず、さりとて医療の必要があるため特別養護老人ホームには入れず、困った困ったと思って暮らしている高齢者が、またその家族がたくさんいるからです。

その解決が図られる施設なのです!

2017年6月6日火曜日

結城 恵 群馬大学教授に須藤 修 東京大学大学院教授

多文化共生に関しての研修とAI(人口知能)についての講演を聞いた
多文化共生の講師は群馬大学の結城 恵 教授
AIは須藤 修 教授
この二人には驚きの共通点があった!
ともに島根県出身ということ

結城さんは出雲高校卒業生
須藤さんは松江北高校卒業生

それぞれ東大に入って現在も活躍中であった
それも日本の抱える課題解決の最前線に立って問題解決に尽力している
日本で一番田舎といわれる島根県の出身者が先端で活躍していることに
素直に感動した

のびのび育った田舎の若者が中央で芽を出し力を発揮する
真に世の中の役に立つ人を育てるには子供時代の世界が重要だと感じた次第である
偶然聞いた研修と講演であったが変なところで感動した

人口がドンドン減っていく島根県だがこのままいけば早晩どこかの県と合併になったり
道州制の発端になったりする可能性がある
今の枠組みを残すことが将来の日本にとっても有用だと思う
そのためには人口を維持または増加することが求められる

若者の定着・UIターン・結婚支援などなどだけでは追いつかない

そこで外国人の定住・移住を積極的に進めることを提案する
現に27年度島根県内で人口増を果たしたのは出雲市のみ
それは外国人の増加の結果であった
後は軒並み減である

人口減少対策に外国人との共生を盛り込もう
新たなイノベーションが島根県からきっと生まれる違いない




2017年2月3日金曜日

ふくしま孝雄候補のリーフレット見てみます

2期目の挑戦!
元気いっぱい議員活動を続けるタフガイ

超早い、行動
現場に駆け付け、粘り強く課題解決を図る

行動一番  実績一番


リーフレットを開いてみると。。。
やっぱり現場の姿だ

課題はいつも現場に答えがある
机上の空論ではなく
現場に駆け付け、市民の声を聞く

市長に要望している写真もあるぞ

市民の生活を良くするために、聞き取った課題をまとめ
解決するよう、市長に要望しているんだ


一期4年間でたくさん たくさん実績を残しています

市立中央図書館に体の不自由な人専用の
駐車場を整備
図書館は昭和59年にできています、つまり30年間誰も気づかなかった
誰も声を届けることをしていなかった、そこを動かしたんです

マイナンバーカードの推進をして
住民票や印鑑証明をコンビニで発行
日曜でも近くで発行できるからとても便利になりますよ

通学路の歩道の整備や食品ロス削減などなど

仕事のできる「ふくしま孝雄」を応援しよう!



2017年2月2日木曜日

かつべ順子候補のリーフレット 見てみます

なんと、この8年間女性議員は「かつべ順子」ただ一人
男性議員に囲まれる中、孤軍奮闘!

女性や子ども、高齢者などの
弱い立場に立って優しい政治を行ってきた
スーパーウーマン

女性の味方
子どもの味方 市民の味方だ


リーフレットを開いてみると。。。
山口公明党代表とのツーショット
街頭演説もやってます

あ、驚きの仕事ぶり
リーフに載せきれないほど





県立中央病院の女性専門外来の設置
女性が安心して受信できるようになりました

中学校にエアコンの設置
教室が暑くて勉強できない、まずは中学から

市民税などの納税をコンビニで納付
身近にあって仕事が終わって夜遅くても大丈夫

などなど。。。

議員となって22年間、毎議会で必ず質問に立ってきた
今日までにその数は87回にも及びます

この質問こそが執行部を動かし、市民の思いを形にする
重大な役割なのです!

「かつべ順子」はこれからも、皆様の負託に応え
全力で働いてまいります。


出雲市議会公明党 
たくさん市民のお役に立ってます



2017年2月1日水曜日

新人市議選候補 にしこおり稔の紙芝居ができた 


昭和31年10月12日、「にしこおり稔」は出雲市松寄下町の
専業農家の長男として生まれました。ちょっと頭の大きい、元気な赤ちゃん。

実家は、出雲の特産品デラウエアぶどう栽培の先駆け農家で、「県外でも世界でも自由にはばたけ!」といった、放任主義の家庭で伸び伸びと育ちました。


小学生の頃から活発な少年で、いつも学級委員をしていました。

今の体形からは信じられないかもしれませんが、
中学・高校と陸上部の短距離選手として活躍。エ~

リレーでは全国ランキング上位に入り、陸上推薦で出雲農林高校に進学。
高校時代には県大会で1位となり、インターハイでは準決勝まで進みました。


 ある日、中学時代の同級生が突然訪ねてきて
「一緒に大学に入らないか」と、熱く誘われました。

 いったん社会へ出てからの受験勉強は予想以上に厳しいもの
松江の予備校に通うも授業がさっぱりわからず???
中学校の教科書からやりなおし。10時間の猛勉強に励みました。

その結果、晴れて第一志望の東京農業大学に見事合格。ヤッタネ

これからは環境や景観が重視される時代だと考え
農学部造園学科を選択し、専門の研究室で最先端の公園づくりを学びました。

 卒業した「にしこおり稔」は、地元出雲に帰って造園会社に入社。

出雲空港周辺の公園、宍道ふるさと森林公園
荒神谷遺跡公園などを手がけました。

1級土木施工管理技士、1級造園施工管理技士の資格も取得。
新しいデザインや技術を取り入れる造園のスペシャリストとなりました。

そんな「にしこおり稔」に再び転機が訪れます。
「今まで学んできた技術を、若い世代に伝えたい」と
島根県初の社会人枠での教員採用試験に挑戦。

念願の高校教諭へと華麗なる転身を果たします。スゴイ!

しかし、民間から教員の世界への転身は想像以上にギャップが大きく、当初はストレスから幻覚症状が現れたり円形脱毛症になったりしたことも。。。

それでも、気さくで明るい人柄から生徒に親しまれ、松江農林高校、出雲農林高校、矢上高校と21年間にわたって測量・造園の専門技術を教えてきました。


そんな「にしこおり稔」が、またまた重大決意
出雲市のために
出雲の市民のために
市議選に挑戦しよう

と、要請を受け出雲市議選出馬を決意。
学校長に話すと大変喜んでくださり、昨年12月31日付で出雲農林高校を円満退職、現在、4月の決戦に向けて飛び回る日々です。

知識と経験に裏付けられた農林業、また教育のプロとして、市議会に新風を送ってくれることは間違いありません。
公明党公認候補「にしこおり稔」を皆で応援しよう!

2017年1月31日火曜日

市議選候補の缶バッチ 作ってみました!


候補のトレードマークは三種類

婦人部さんの手作りマークはありますが
みんな安全ピン止め
三ついっぺんに付けようとすると、大変なんです!

なので、思い切って缶バッチ作りました
それも、マグネット式です

これなら簡単に三つサササと付けられるんです

誰かの一つしか付けてなかったら。。。ちょっと危ないのです

かつべ順子候補

ふくしま孝雄候補  にしこおり稔候補

さあ!みんなで応援しよう、ヤー



2017年1月30日月曜日

平成29年出雲市議選の公明党候補者です!

出雲市議選の公明党公認候補です!


出雲市議会、唯一の女性議員「かつべ順子」

元気いっぱいの2期目に挑む現職「ふくしま孝雄」

そして新人候補!「にしこおり稔」


私たちが求めている議員は

名誉や私利私欲ではない

ただただ人のため出雲市のために

その身を粉にして働く議員です!

皆の不安を取り除き

希望や安心を与え

この地で生涯を安心して送れるようにする

人を置き去りにしない政治を行い

安心して暮らし続けることができる出雲市

希望があふれて誰もが生き生きできる出雲市

そうだ、この3人こそ、実現してくれます!


かつべ順子のトレードマーク
(似顔絵に勝のVマーク)

ふくしま孝雄のトレードマーク
(しま模様の入った服)

にしこおり稔のトレードマーク
(にっこり、にっこり、にしこおり)



2017年1月26日木曜日

企業による農業参入フェアに大阪へ

「梅田スカイビル」(初めて行った)空中庭園がある有名なビルですね。
大阪グランフロントを抜けて行ったら、えらい遠回りになって(⌒-⌒; )ました。