出雲ローカルサーファー

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2011年7月23日土曜日

東北へ 被災地を行く

7月18日早朝、島大の二人の学生をピックアップして、三島県議のお宅に向かった。
車で東北にむかうためである。
現地の状況とボランティアをすることが目的の今回の旅は、島大スピリッツの1年のF君と4年のM君、そしてもう一人、飯南町地域おこし協力隊のY君との変わった構成で、被災地へむけて出発した。

台風の影響で次第に雨脚が強くなる中ひたすら北上した。
途中静岡で一泊、翌朝5:30つくば市にむかって出発、つくば市では、農業を通じて障害者の雇用拡大・就業支援を目指してNPOを設立した「ごきげんファーム」を訪問した。

彼らが作る作物は健常者が作るものと比べて格段にうまいというが、なるほどよく理解できる。

昼食もそこそこにいよいよメインの目的地である、東北へむけて車を飛ばした。
福島県に入り郡山を通過して国見インターから伊達市に向かった。

そうホットスポットや牛の稲わらなどでゆれる地域である。

おたずねしたのは、専業農家のEさん宅、地震の影響で屋根瓦が落ちブルーシートをかけた家々が多く見受けられたが、Eさん宅も被害を受けておられた。
この地域の蔵は一風変わった作りで、石を積み上げて作られている、最初にその頑丈な蔵の石がズレ大きく隙間があいているのを見せられた。

家の中も大工さんが入り修繕の真っ最中であった。

原発の放射能の影響はこの家に、いやこの地域全体に重くのしかかっていた。
伊達市は福島第一原発から約50キロ北に位置する、そんな地域でも現実に被害が出て、これからの生活に不安を抱いている。
一旦過酷事故が起こると取り返しがつかないことになる、それを肌で知った。


イチゴをつくっていたが、原発事故の影響で例年なら350円で出荷するものを、売れないため捨て値の50円で出した、来年からどうしたらいいのか分からない「でもおれら、専業だからそれしかできねいから」と力なく肩を落として話される。

駆けつけていただいた地元の熊田市議から、校庭の表土はぎのこと、さらに剥いでも持って行くところがないことなどを伺った。
熊田市議は線量計を携えており、Eさんの家の地面の線量を測ってくれた「3.8マイクロシーベルトですね、地上1メートルのとこで0.5マイクロシーベルトだ」、けっこうな線量が出ている。
「樋の近くや溝なんかはもっと線量が高いですよ」と話される、計算すると地面で年間33ミリシーベルトにもなるから、相当高い数値だ。

「アユやどじょうなども食べられないんですよ」と熊田市議が言うと「おら、どじょう食べてしまったんだけど・・・」「もう食べらねーのか」と顔が曇る、普通の暮らしを根こそぎ奪ってしまう放射能の怖さである。

被災住宅への支援は廃材撤去費用を市が負担しているということだった、はぎ取った表土などの処理については、国が結論を出さないとどうしようもなく、今は片隅に置いておくしかできないということであったが、聞いていて無力感が全身を覆ってきた。


その後地元の地域おこし支援員さんのお家へ移動して意見交換、よく島根からきたと驚かれ、さらには、近くにいる自分たちは、被災地に行ってどうこうしようと全く考えていないのに、あんたたちは凄いな~といたく感心されてしまった。

そして宿泊地はそこから14キロ離れた、霊山子どもの村コテージ、あの有名な霊山である。
飯館村に隣接する場所で、こちらも線量が高い所である。
21:30に着いたので周りはすっかり暗く確認できなかったが、他には宿泊者がいないようだった。
地元の人が避難しているようなところに、わざわざ泊まりに行くような家族はいないわなー。

翌日も朝早く目覚めたが、周辺を散策する気持ちにはなれなかった、放射能が心配だからだ、熊田市議が言うには、アスファルトやコンクリの道は洗っても、細かな目に入って線量が落ちないということだったし、杉や松は刃先に葉先について上の方から徐々に下に移動してくると、聞かされていたからだ。

6:30 名取市に向かって出発、続きはまた。

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